レノマ パリス

23歳の若者は、デビューからその異彩を放った。renomaを産んだ、モーリス・レノマ氏である。1963年、兄ミッシェルとともにパリ16区Rue de la POMPEに最初のブティックをオープン。メンズファッションの概念を一新するブランドの歴史が始まろうとしていた。パリの“WHITE HOUSE”。名門ジャンソン・ドゥ・サイ高校前にあるブティックは、白い外壁からそう呼ばれた。自分たちのための服を仕立て、それを着て遊びに行くという、いわゆるリアル・クローズド的発想が、裕福でワルな学生たちの心に火をつけ、一躍人気となる。『プチ・ブルジョア的洒落た服が揃う店』という新しい本格的メンズ・プレタポルテとしての評価を得て、パリの学生から、やがてファッション界のスターまで一気に広がる。

60年代、強烈なリーダーであった仏大統領ド・ゴール。フランスの国力、尊厳の回復・維持のための絶対的権力体制化、抑圧された空気を感じる若者は少なくなかった。ファッションでは、アメリカ製を排除する大人たちに反発して、若者たちはアメリカ製を求めていった。そんな若者の感受性をルイ・マル監督は、映画『地下鉄のザジ』で表現した。(フランスの田舎で育ったザジはアメリカ産のジーンズに憧れ、パリに出るストーリー)

大学生、労働者による反体制運動が活発になり、1968年パリでは、サルトル、ボーヴォワールが率いる5月革命が起こる。大人たちが決めたルールにはない新しさ、独自性があるモーリスのデザインは、そうした時代背景に乗り、パリのトレンドセッター(遊び人)の話題の的となった。店の“WHITE HOUSE”という愛称も、アメリカの自由への憧れが生んだといえる。特に自らの表現に敏感なミュージシャン、映画監督など多くのアーティストが虜になり、こぞって身に着けた。

Permanent Spirit of renoma

renomaが作り上げた特徴的なスタイルのひとつにドレスダウンがある。非常にシンプルでありながら、非凡であること。一流と呼ばれる服に自分がコントロールされたり、クラシック、トラディショナルなものに安心せず、自分らしいアレンジを積極的に取り入れ調和させる自由をもつこと。

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